120日目
- 筆者

- 2022年8月23日
- 読了時間: 6分
更新日:2022年10月10日
私は6:00頃起床。昨夜は1:00頃就寝。
奈津子は5:00頃起床。昨夜は21:30頃に鎮痛剤を服用し就寝。1:00頃、トイレに行った。1:30頃にホットパックをもらい、鎮痛剤を追加で服用。肩、腕の痛みが引かず、寝つきが悪かった。3:45頃、一度痛みで目が覚めて、それからあまり眠れなかったようだ。
最近、夜の睡眠の質が悪いのと、午前中のリハビリで疲れてしまうこともあって、お昼ごろはよく昼寝をしている。私が届けた昼ご飯を「早弁」して、仮眠してから午後のリハビリに向かうような形をとっている。
今日も昨日と同様、理学療法と作業療法が午前と午後にあった。
午前は作業療法から。「痛み日記」のタイピングをした。コイン、新聞紙を使った手先の訓練をした。新聞紙は、右手の親指、人差し指、中指の3指でめくりあげる。親指の腹で、紙面のエッジをひっかける様にめくるようだ。
今日は火曜日。以前、関節注射をしてくれた整形外科医の病棟回診の日だったので、作業療法を早々に終えて自室に戻った。希望としては、再度、関節注射を受けたかった奈津子。ただ、整形外科医が多忙なため今週の注射は見送られた。そう聞いた奈津子は「あと一週間も先になるのか」と残念に感じたそうだ。
理学療法では、床で仰向けになる形でのストレッチから開始。ストレッチは、ストレッチポールを使ったものや、腹式呼吸を意識したものなど、体勢や動きを少しずつ変えながら、色々なストレッチとしているという。電極をつけて、階段も含めた院内の歩行コースで歩行訓練した。最後に俯せに近い状態で、肩のマッサージを受けた。リハビリ後、自主的に、毎分40回転で12分間、ペダリングした。
奈津子は早弁して、少し仮眠した。仮眠すると少し楽になるらしい。ただ、お昼ご飯はかなり食べ残しがあった。仮眠後、湿布治療を受け、また少し眠れた。
午後の理学療法では、マット上で、装具を外して靴下だけになり訓練をした。バランスボールで体幹強化を図ったあと、前進歩行と後進歩行をしばらく繰り返した。やはり、歩行中、右足の先からの着地で、ゆっくりと後から踵の着地をする状態。ゆくゆくは右踵からの着地を目指したいが、当面、足先着地後になるべく早く踵が着地するよう心掛けながら歩くそうだ。その為に踏み台を使って反復訓練をした。踏み台上に両足を置き、右足を床に下して上げる動作を繰り返した。それから屋外での歩行訓練をした。最後に肩のマッサージを受けた。
作業療法では、トウモロコシを調理して食べたそうだ。ホールのトウモロコシの皮を2枚程度残して剥き、ラップをし、レンジアップ。ラップを外し、残った皮をむき、4つに切り分け、塩水に浸けて3分間待った。塩味の効いた茹トウモロコシが出来たそうだ。作業工程はすべて奈津子が熟したらしい。「楽しかったよ」と奈津子。
今日は積極的に歩いてないらしいが、気が付くと6,500歩、歩いていた。
脳科学関係の文献を読んでいると、結構な頻度で「脳は常に可変である」という言葉が目に飛び込んでくる。英訳の一部をつまんで書いたものなのかもしれないが、「言うほど常に可変なのか?」と、素人の私は思うのだ。自由自在じゃないだろう、と想像する。
仮説で書いていた、BからB`への機能移転、神経回路の切り替えは、云わば最初から予定されているものなのだと思う。脳損傷時、脳地図が書き変わる。その際の移転候補地の一丁目一番地が鏡像位置と決まっている。役割と脳地図上の位置は決まっていて、演算記憶等を持たないその候補地へと機能の所在が切り替わる。
その候補地というのは、何のことはない反対側の同じ役割を担うニューロン群になる。鏡像位置。つまり「右手の人差し指を伸ばす運動のニューロン群」については、「左手の人差し指を伸ばす運動のニューロン群」に、その機能を割り込ませることで、機能を移転し補完しているということになる。
それから、交通事故等で、左右両側同部位の損傷があった場合、リハビリ後の良好な予後が期待できないということを、いくつかの文献で目にした。それは、候補地へ移転するという予定に対し、不測の事態に他ならず、機能移転先がすぐに定まらないことを意味しているような気がする。
「可変」だが、その変化には、ある程度の制約がある。そしてそれは「損傷時に両側脳が互いに機能補完する」という根源的な理があるからなのではないのかと想像させる。
子供のころから、よく「人間は脳を三分の一しか使っていない」とか、「40%使っている」とかその割合を見聞きする。脳に大きな損傷のない状態で、両側が補完関係にあるとしたら、50%が上限になるのだろう。不測の事態も考慮すると、40%は妥当なリソース消費のようにも思える。
急性期、手、腕のリハビリで右手を使う際、よく左手もつられて右手と同じ動きをしてしまいがちだった奈津子。今日、それがいつ頃から無くなったのか奈津子に聞いてみた。転院後には、そういった現象は無くなっていたと言う。
2か月間かけて、その「誤作動」の頻度が徐々に減少し、消滅した。ここでは、ニューロン群を、GoogleかAmazonのような大企業の歯車と見立てて擬人化し、イメージを巡らす。なお、ニューロン自体は、こんな思念めいたものは持ってないので、念のため。
偉い人から、ニューロン群はこう言い渡される。「君、左手の担当だったね。今日から左手と一緒に右手も担当してもらうことになったから」「えー、出来ますかね私に」「この個体は右手を使えなくなってる。個体の存続がかかっているんだ。やってもらえないか」「分かりました、やってみます。自信ないですが」。
偉い人は、中枢神経を抱えた脳幹=トカゲ脳。かなり事務的に、的確に、非情に、脳損傷に関係する各ニューロン群に同じように指示を与える。
元々左手だけ担当していたニューロン群は、右手について、一から動かし方を学んでいく。その途上で、「あっ、左も動かしちゃった」と誤作動していた。急性期に起きていた現象は、そんな感じで生じたものなのかと考える。
私は主夫だが、洗濯だけは奈津子にお願いしていた。奈津子の入院で、今まで奈津子の着衣を畳んだことがないことに気が付いた。奈津子が長期研修で不在だった時に洗濯をした記憶があるが、それ以来の洗濯だった。ドラム式の全自動洗濯機の使い方を再学習。乾いた洗濯物を手にする。最初は、「パンツって、どう畳むんだ?」みたいなところからスタートして、丁度、奈津子が転院した頃だろうか、一枚のパンツを10秒以内に畳めるようになっていたかと思う。ただ、いまだに柔軟剤の適量が分からなかったりするが。
やっていなかった仕事を、いきなりスタートしなければならなかった奈津子の右脳内のニューロン群。その大変さを洗濯物を畳みながら想うのだ。
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8月22日 ![]() | 8月23日 ![]() | 智則の夕食例。サラダは、スーパーの半額処分品。奈津子の弁当のあまりものなどで構成。今日は300円で買った川ガニを塩ゆでして食べた。撮ってはいないが、最近、生湯葉をよく食べている。 |
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リハビリ映像
奈津子の朝昼晩ご飯
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